葛飾 北斎。 美術手帖

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春画とは男女の営みをおおらかに描いたもので、江戸時代には庶民はもとより大名にまで幅広く親しまれていました。 人生で90回も転居したと伝えられています。 葛飾北斎「くだんうしがふち」「新板浮絵王子稲荷飛鳥山之図」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団) 師の春章のもとを離れ、長年オーダー品と読本の挿絵を描いて生活してきた北斎が、錦絵(多色摺版画)というフィールドに再チャレンジし名作「富嶽三十六景」を発表したのは、なんと70歳を過ぎてから。 今回ご紹介したほかにも、多くの画号をもっていた北斎ですが、その本名は以外と普通なのです。 満天の星空 千絵の海 甲州火振(1833年頃) 葛飾北斎 72歳ごろ 月のない夜に松明の灯りで魚をおびきよせ漁をする人々。 『北斎漫画』 三編「遠近法とその描き方」文化12年(1815)浦上蒼穹堂蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチも北斎に影響を受けた! 14世紀半ばから16世紀にかけてのイタリア・ルネサンス期を代表する大芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画、彫刻、建築、音楽といった芸術分野はもとより、科学や数学、工学、解剖学、地学、植物学といったジャンルにも才能を発揮した、まさに万能の天才です。 前年に琳派の町絵師、俵屋 たわらや 宗理を襲名したものと考えられています。 8(各) 浮世絵太田記念美術館 1803-04年(享和年間後期)頃 「画狂人北斎画」 「亀毛蛇足」朱文長方印 月下歩行美人図 紙本着色 1幅 98. 科学的な視点をもっていたダ・ヴィンチは、遠くの山が青く見えるのは水蒸気の層によるものだということを知っており、空気を描くという意味がわかっていたのです。 出生地は下総国本所割下水(現在の東京都墨田区亀沢1~4丁目)とされています。
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