ぼく が ゆび を ぱちんと なら し て きみ が おとな に なる まえ の 詩集。 ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集

子どもはもちろん、大人もじゅうぶん楽しめます。

そんな、すきまにしかないものが、じしょに、のってるはずあるかい?」 きみ「詩も、ことばとことばのあいだにあるのかな?読んでたら、すきまに、おっこちちゃう感じがした」 ぼく「ふふ。

もぐもぐできない、というのは国語の授業のように分解?できていないからだと思うのだけれど読み方の正解なんてないと思うのでがっかりもしなくてもいいと思うし、でもやっぱりもう少し深く掘り下げれる脳も欲しいきもちになったりもする。

いかにも待っていた、これから大事な話をするぞと肩の力が入っていない「ぼく」。

詩は、意味がわからない。

それは、ぽつんと、ひとつきりなものじゃなく、もっとおおきなながれのなかにある。

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まあそんなことを思いながらこの本を読みました けれども読み進めるうちに二人の関係の秘密が明かされていきます
なにかをひとつにして、ほんとうのことが、ちらっとでも見えたら、それは、〈いい詩〉っていえるんじゃないか そして、詩はことばを自由にし、ことばはわたしたちを自由にする
そしたらじしょのなかにただしいことばなんかに、どんないみがある?」 きみ「じゃあ、ただしいことばなんて、ひつようないっていうの」 ぼく「まあ、ひつようだね」 「か」 藤富保男 かくかく しかじか的に 天使は述べられた 隕石が象の尻のように 一個ふって来た 残念であることばかりが とてもつづいて あなたの頬をかじってもいい? パンのようだから 仕方がなく淋しい夏だ ね きみ「詩って、こんなでたらめ書いていいんだ」 ぼく「なんででたらめだと思った?」 きみ「だっていみがわかんないから」 (中略) ぼく「ゲームのほうが、ぜんぜん、おもしろい、と、いって、せんせいに、なってない、といわれた 俯瞰していたら無理だ
— 斎藤真理子 marikarikari 一連の「ポエム」に関するツイートの最後におすすめされていたのが、この本だった おじさんの「ぼく」と小学校の帰りとかにふらっとやってくる「きみ」が20篇の詩にふれてあれこれ話していく この2人の関係性が本当に魅力的で、なおかつ自然と暮らしのなかに詩があって えだまめ、カップラーメン、草むしりとかと地続きに詩がそこにあるんだなって思った 特に印象に残った項の感想を書いていくことにする 最初の項では「全然」という言葉の後ろには否定する言葉が来るのが正しいと先生に言われたきみがぼくの家にやってくる わたしは「全然大丈夫」という言葉が好きだから、きみの気持ちがよくわかった 文法的に間違っているが、自分の気持ちをまさに表しているのが「全然大丈夫」だからこれからも使っていいんだって、スッとした 相手に伝わって欲しいわたしの気持ちがその言葉になるから「全然大丈夫」と言いたいんだろうな 6つ目の項ではオノマトペについて触れられている 前の職場で若い子がASMRというジャンルの動画をYouTubeで観ている話をしたら、その場にいた方がこんな絵本を紹介した その場にいた20〜60代のみんなで絵本を回し読みして、この音は本当に美味しそうだねとか、あまり電車に乗らないからピンと来ないなぁとかいろいろ話した ASMRという動画のジャンルもすごい人気があるし、人は潜在的にこういうものが好きなんだろうってみんなで納得したことをよく覚えている 「きみ」はまだ擬音に対する固定概念がないし、まだ意味として知らない言葉が多いから、音として吸収されている わたしは最近やたらとタイのドラマを観ているが、このとき「きみ」と同じことが起きているなって思って面白かった 日本語以外の言語を覚えるときも擬音はなんだかすぐに頭に入って覚えてしまうこともあるし、なんだか不思議だね 絵本を紹介してくれた方は、こういう本の読み聞かせは本当に難しいと言っていた そのときはピンと来なかったが、今考えると確かにそう思う 20篇の詩の中で特に好きだったのはこの2つ 『まつおかさんの家』辻征夫 『ナチュラル・ミネラル・ウォーター』田中庸介 あと金子みすゞの『大漁』の詩のあとの「ぼく」の言葉も好きだった ほんとうのこと、ってのは、もっとおおきい 表紙の絵も意味深です
「きみ」はその日あったことで気になることをなんとなく胸に持ちながら「ぼく」のところへやってきます まだやわらかいあたまの子らがこの本を読んだら、どのように心は変化するのか興味深く思います
二人の対話により、それぞれの詩が新しい命を得たように輝き出します 別途送料がかかります

子どもはもちろん、大人もじゅうぶん楽しめます。

また、ことばや詩について考えることは、答えのない問いに対して自分なりの答えを考える道すじのようでもあります。

[…]. 今は、書くことから話すこと、それから体のつかい方、そして生活の仕方へと興味が移っています。

そのときいちばんだいじなことは、ことばのないがわにいる、ふりをしないことだ。

そのラインナップは千差万別。

心に残り続けるだろう一篇との出会いもありました。

そんなことを思いながら、「きみ」の読み方や感じ方はとてもすてきで、これどう?と差し出す「ぼく」 おじさん もすてきで、ずっとこのやりとりを見て 読んで いたくなった。

・・・かこと、現在とか、みらいでも、ふたつのべつのじかんが、あったら、それは、いっしょにはならにい。

ことばにならないものの存在を、しずかに認めること。

きみはいつものように、あけっぱなしの玄関から、どんどんぼくの部屋にあがりこみ、ランドセルをおろしながらこういった。

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